昭和6年2月27日
浪越徳治郎の長男として北海道札幌に生まれる。

昭和28年
日本大学芸術学部卒業後、米国アイオワ州ダベンポートにあるパーマースクールの招聘で父浪越徳治郎と共に渡米。日本の指圧を指導、講演。引き続き4ヶ月間にわたる米国各地において指圧の普及活動後、そのままパーマースクールに留学し、約7年間米国での指圧普及に努める。

昭和35年
米国から帰国後、日本指圧学校副校長として、近代浪越指圧の指導にあたる。

昭和37年
あん摩師試験に合格し免許取得。(昭和39年法改正により、あん摩マッサージ指圧師免許となる)

昭和47年11月3日
フランスから理学医療士70名が来校し、指圧の講義をする。

昭和48年7月18日
スペインからレディ・アン美容学校のグループ25名が来校、指圧の講義をする。

昭和48年8月
カナダとハワイにおいて指圧普及活動。

昭和48年8月
第1回欧州指圧親善旅行団としてベルギー、フランス、スペインで指圧を披露。

昭和48年10月6日
米国医療団80名が来校、指圧研修を行う。

昭和48年11月
指圧療法のよき理解者であるベルギーのウイリー・クラウス博士がブリュッセル医科大学での学会で、指圧のデータ結果による指圧研究の論文を発表。

昭和49年1月
第1回レディ・アン指圧セミナーがマドリッド、バルセロナにおいて5日間ずつ行われた。約100名の女性エステティシャンに指圧の指導。

昭和49年9月16日
イエニー博士率いる米国医療研修団(医師、歯科医師、カイロプラクター、獣医師のグループ)が来校し指圧研修を行う。

昭和49年10月31日〜11月11日
ハワイホノルルで指圧セミナー日本の指圧のデモンストレーションとレクチャーを行う。連日、テレビ、新聞、ラジオで報道され、ハワイ全島で大反響を呼ぶ。

昭和50年
第1回ハワイ指圧セミナーに日本から70名が参加し大成功に終わる。

昭和51年6月
フランス指圧セミナー エディプソス美容センターの招聘によりサンマロで医師、理学療法士、美容マッサージ師(エステティシャン)、ヨガの研究団体の4グループ100名が受講しテレビ、新聞でも報道され大成功を遂げる。

昭和51年8月14日
第2回ハワイ指圧セミナー日本から40名の参加。

昭和51年8月30日
西ドイツ医療団が来校。ドイツ物療士協会副会長のハンス・ハルトー団長率いる60名に指圧研修を行う。

昭和51年11月19日
フランス指圧セミナー 第1次セミナーは医療関係者対象で医師、マッサージ師、理学療法士ら約100名の受講者、第2次セミナーは美容関係者約100名の受講者で共に大成功を収める。

昭和51年秋
米国のテレビマン・ユニオン社制作で、初めて日本の指圧がテレビを通じて全米に放映される。浪越徳治郎による指圧のスローガンと、徹副校長による指圧の原理と効果を英語での説明で収録され、全米に指圧療法のオンエアーが大反響を呼ぶ。

昭和52年
浪越徳治郎と浪越徹承認のもと、海外初となる浪越システムによるオランダ指圧学校が第15期聴講生デニス・ビンクス氏設立により誕生。

昭和52年3月18日
東京で開催されていたアイスホッケー世界選手権大会のため来日していたモルバン・ケジャン団長以下25名のノルウェーアイスホッケーチームが来校し指圧実技を体験。

昭和52年4月2日
ミュンヘン大学教授ギレー博士等20数名のミュンヘン大学研修団が来校し、3週間にわたる指圧研修会を行う。

昭和52年8月2日
第3回ハワイ指圧セミナー開催、日本から53名の参加。

昭和52年11月1日
フランスのリヨン市から医療研修団30名が来校し指圧セミナーを行う。

昭和53年2月17日
ロスアンジェルスタイムスに日本の指圧が掲載される。これにより「日本の指圧」から「世界のSHIATSU」への道が開け、科学的に体系づけられた指圧として認められる。

昭和53年8月6日
第4回アメリカ指圧セミナー開催 日本から51名の参加。サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ホノルルにて開催される。

昭和53年7月20日〜8月1日
あん摩マッサージ指圧師とはり師・灸師の養成学校の代表者等23名と共に中国を視察訪問。

昭和53年9月17日
世界クレー射撃大会がソウルで開催されるためイタリアの選手チームのトレーナーとして途中来日されたルディ・パロンビーニ先生より京王プラザホテルでイタリア選手団の紹介を受ける。パロンビーニ先生は東京オリンピック(昭和39年)のイタリアオリンピックチームのトレーナーとして来日した時に指圧を教授してからの関係であり、このときも来校し指圧のプライベートレッスンを教授する。

昭和54年
完全図解指圧療法を出版。現代医学に基づいた浪越指圧の教科書として、指圧の創始者であり父でもある浪越徳治郎も絶賛し世界共通の指圧教科書とすることを決定。世界各国で翻訳される。

昭和54年6月17日
第1回指圧国際大会が東京にて盛大に行われる。世界10カ国からの同志が集い1200名の参加で大成功を収める。

昭和54年8月3日〜8月12日
第5回アメリカ指圧セミナー。ロスアンジェルス、サンフランシスコ、ホノルルにて開催。日本から30名の参加。

昭和55年8月2日〜8月5日
帝国ホテルにおいて「昭和55年エステティック国際会議」が開催される。各国の団体から日本の指圧を勉強したいとの要請が多数ある。オランダ医療美容関係60名、スペイン レディ・アン美容学校20名(7年ぶり2度目)、メキシコ美容関係6名、フランス医療関係20名の各研修会が学校にて行われる。

昭和56年2月9日
ロスアンジェルスにてマルキンメディカルセンター院長、マルキン博士と会談。完全図解指圧療法英語版(THE COMPLETE BOOK OF SHIATSU THERAPY)の内容が素晴らしいとの評価を受け、米国に指圧学校設立に向けての議題もでる。

昭和56年2月11日から20日
メキシコ エステティカ・アプリカーダ美容学校校長エンリケータ・アベラール女史の招聘によりエステティック大会で指圧講習会を行う。メキシコシティのテレビ局から出演依頼があり、目の疲れをとる自己指圧を実演し、完全図解指圧療法が紹介される。

昭和56年7月29日〜
第6回指圧セミナーがロスアンジェルスとホノルルにおいて行われる。ロスアンジェルス州立ベテランズ・メディカルセンターを見学し、指圧をリハビリテーションの部門においても役立てたいとの趣旨を説明し理解を得る。ホノルルにてジョージ有吉州知事を表敬訪問し懇談。

昭和57年
浪越徳治郎と浪越徹承認のもと、ルディ・パロンビーニ先生によりイタリア指圧学校が設立される。オランダに続き、海外で2番目の浪越システムによる指圧学校となる。

昭和57年3月24日〜
第2回指圧国際大会が開催される。第1会場はローマ、第2会場はアムステルダムにおいて行われヨーロッパにおける指圧の大衆化が認識される。日本から33名の参加。

昭和58年8月6日
第3回指圧国際大会がハワイにて開催。日本から65名が参加。

昭和58年8月9日〜8月13日
ロスアンジェルス親善旅行。ジャパン指圧センターにおいてUTBテレビの「ハリウッド千一夜」に出演。

昭和60年3月24日
第4回指圧国際大会が中華民国台北市にて開催。日本から60名の参加。5ヶ国310名の参加者。

昭和61年8月23日
第5回指圧国際大会がカナダバンクーバーにて開催。日本から60名の参加。指圧の大デモンストレーションが万国交通博覧会の日本館で行われ、世界各国の500名を超える人々に日本の指圧を堪能していただく。

昭和62年8月23日〜8月29日
第6回指圧国際大会 日中指圧親善の旅が北京、桂林、上海にて行われ日中の手技療法の交換が行われ友好親善の効果が見られた。日本から56名の参加。

昭和62年11月6日〜11月9日
カナダ トロントで指圧セミナー開催。150名の熱心な受講者にて大成功を収める。

昭和63年4月
講談社インターナショナルより発刊された浪越徹著「THE SHIATSU WAY TO HEALTH」の出版記念講演と祝賀パーティーが200名の出席者で盛大にホノルルパゴダホテルにおいて行われる。

昭和63年6月15日
第7回指圧国際大会が西ドイツ デュッセルドルフにて開催。日本から60名の参加。

平成元年8月17日〜8月20日
国際指圧サミットがシカゴで開催される。日本の指圧の基本手技を検討、統一しまとめ国際交流をより深めるという趣旨で、約100名の参加者により全米の指圧の状況、質疑応答、今後の抱負などが語られる。浪越徹による3日間に渡る日本の指圧の沿革、教育カリキュラム、現況についての講義と、基本手技と応用実技を布団と指圧ベッドの2つを使ってのデモンストレーションが大好評を得る。

平成元年9月
オーストラリア指圧親善の旅 シドニー、メルボルン、キャンベラの三大都市で行われる。日本からは21名の参加。

平成2年9月
日本指圧協会青年部主催の第1回外国人セミナーが横浜にて開催。グローバリズムを持った指圧師育成に力を注ぐ。

平成2年11月21日
第8回指圧国際大会がスペイン マドリッドにて開催。日本からは55名の参加。オランダのビンクス先生、イタリアのパロンビーニ先生、ドイツのビルクナー先生をはじめ地元関係者を含め200名が参加し大きな成果をあげる。

平成3年9月1日
第9回指圧国際大会(1部)がマレーシア クアラルンプールにおいて開催。テレビ、新聞でも報道される。

平成3年11月23日
第9回指圧国際大会(2部)がイタリア ローマにおいて開催。12カ国から350名の参加者により盛大に行われテレビでも報道される。イタリアでの指圧の法制化に向けて意義ある大会であった。パロンビーニ先生とともにローマのテレビ局テレビモンテカルロに生出演し大反響を呼ぶ。

平成4年3月22日
日本指圧協会青年部主催の第2回外国人指圧セミナー開催。英字新聞に定員50名の広告を載せたところ100名近い応募者で当日は8カ国75名の参加。日本での指圧の国際交流と普及活動大成功。

平成4年3月27日〜3月29日
国際手技治療大会がサンフランシスコフォートメースンセンターにおいてアメリカの手技治療グループとマッサージマガジン社の共催により行われる。ゲストとしての紹介で浪越指圧2代目の日本指圧専門学校校長浪越徹と3代目浪越孝として紹介される。徹の講演「THE SHIATSU WAY TO HEALTH」」においては会場500名満員となり大喝采をあびる。

平成4年11月3日
第10回指圧国際大会 東京ホテルニューオータニ芙蓉の間にて開催 300名の出席。

平成5年3月19日〜3月23日
第1回ヨーロピアン指圧大会開催 オランダ ヒルベルサムのラパーショークホテルにてオランダ指圧学校校長デニス・ビンクス先生が中心となって、ヨーロピアン指圧協会とヨーロピアン指圧アカデミーの設立を記念し指圧特別セミナー開催 230名の参加者。

平成5年3月24日
イギリス シェーフィールド大学にてスポーツ指圧とスポーツ障害についてのセミナーを行う。地元のフットボールチーム シェーフィールド・ユナイテッドの選手をモデルに指圧実技の指導。受講者約100名でアイルランドやスコットランドからも多数が参加。翌25日シェーフィールド市庁舎を訪ね、ウイリアム・ジョーダン市長を表敬訪問。

平成5年4月20日
オランダ医療団来校 オランダ厚生省の高官、医師会会長、大学教授等16名が日本の医療界の現状視察のため来校。指圧の沿革と質疑応答の後、全員に指圧実技の施術をする。指圧療法の効果を認識され喜びと感謝の言葉を頂く。

平成5年11月13日
第11回指圧国際大会がオーストラリア メルボルンにて開催。日本から43名と地元の関係者等200名の参加で大成功。

平成5年11月17日
ニュージーランド オークランドのYMCAで指圧の特別セミナー「指圧と女性の健康」というテーマで行う。参加者は全員女性で70名、大好評を得る。

平成6年5月20日
急逝。